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最終更新日:2015年4月23日
大防橋は、神谷堀に架せられた橋のひとつです。
神谷堀は公称で、本来の呼称は甚兵衛堀のようです。この堀は、当初、排水の目的で掘削されたもののようです。その年代は明らかではありませんが、明治13年の地図に、すでに図示されています。
明治40年、大蔵省印刷局抄紙(しょうし)部の分工場が現在の王子5丁目団地のところに設置されるに伴って改修され、運河の役割も果たすようになりました。改修当時この辺りは湿地帯で、茅(かや)や雑草などが生い茂っていたといいます。大正5年、この分工場が王子製紙株式会社に払い下げになり、大正13年、再び改修されました。
大防橋は、大坊橋とするのが本来のようです。豊島にある大道法師(だいだらぼっち)伝説にちなむもののようです。最初は一枚石を何枚か並べた橋で、木の橋に架け替えになり、昭和3年、王子製紙株式会社が、鉄筋コンクリート橋に架け替えました。そのときの橋名板は、大防橋となっており、少なくともそれ以来、公式には大防橋となり、一般には、大防橋、大坊橋の両方が用いられています。この橋は、その後東京都に移管され、更に北区に引き継がれました。昭和43年の公記録に、運河には艀(はしけ)がバルブや油類を運行し、橋の上は大型貨物車が通行していると記されています。
神谷堀は、その役割を終え、昭和52年埋立が完了し、その時から橋としての役割を終えていた大防橋も、昭和63年3月解体撤去されました。
王子5-2 王子5丁目団地東北端
文化財説明板