ホーム > 文化・観光・スポーツ > 北区飛鳥山博物館 > 北区の歴史と文化財 > 歴史文化財リスト > 歴史文化財リスト王子・豊島地区 > 文化財説明板阿弥陀の渡船場跡
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最終更新日:2015年4月23日
ここにはかって豊島村から沼田村(足立区)への渡船場がありました。この渡船場は、豊島の渡・六阿弥陀の渡・中の渡・原の渡とも呼ばれていました。
旧荒川(現隅田川)の流路は、現在の荒川まで大きく湾曲していて、この地形を天狗の鼻と呼んでいました。渡船場は湾曲の頂点より少し下流に位置していました。
豊島清光の造仏伝承にまつわる六阿弥陀詣が、江戸時代中期以降に盛んに行われるようになりました。この渡船場は、六阿弥陀詣の一番西福寺(北区豊島2-14-1)から二番延命寺(江北橋北詰辺にありましたが、明治9年恵明寺(えみょうじ)に合併されました)への参詣路にあたっていたため、六阿弥陀詣の行われる春秋の彼岸の時には、参詣客でとくに賑わいをみせました。文化11年(1814)頃に当地を訪れた十方庵敬順(じゅっぽうあんけいじゅん)は、この渡船場付近の川端の様子を、「荒川の長流にそひて、左右の渚の景望はいふもさらに、弓手は渺茫たる耕地を見わたし、心眼ともに打はれて、実に賞すべきの景地たり」と記し、こうした土地に住んで、花鳥風月になぐさめられて暮らしたならば、寿命も延びるであろうと賞賛しています。
明治44年(1911)から荒川の河川改修工事が始まり、次いで、この付帯事業として大正12年(1923)4月荒川放水路(現荒川)に江北橋が、同14年荒川(現隅田川)に豊島橋が架橋され、この渡船場も姿を消していきました。
豊島5地先