学校概要
学校の沿革
【昭和期】
- 13年1月 8日 東京市岩淵尋常小学校開校(児童数1134名)
- 13年1月18日 校章の制定(梅の花に「岩」を入れる)
- 13年2月7日 校舎新築落成式挙行・開校記念日に制定
- 16年4月1日 東京市岩淵国民学校に改称
- 18年7月1日 東京都岩淵国民学校に改称(都制実施)
- 19年4月1日 学校給食開始(米飯)
- 19年9月1日 集団疎開(群馬県榛名山町)
- 20年10月24日 学童疎開全員復帰する
- 22年4月1日 東京都北区岩淵小学校に改称
- 22年9月15日 校歌の改訂(現行校歌)
- 23年2月7日 創立10周年記念式典を挙行
- 28年2月7日 学校園経営の開始
- 33年2月7日 創立20周年記念式典の挙行
- 34年12月10日 給食教育優秀校として表彰
- 35年7月18日 「花の学校」として善行会より表彰
- 35年10月12日 花の栽培・校内美化
- 35年7月16日 プール完成の開設
- 35年7月18日 「花の学校」として善行会より表彰
- 35年10月12日 花の栽培・校内美化・情操教育優秀校として区長・教育委員会より表彰
- 39年2月15日 学校花壇経営、新生活運動の実績により東京都教育委員会より表彰
- 41年3月3日 体育館新築落成式
- 45年7月25日 新プールの完成
- 51年7月20日 校帽の制定(デニム生地)
- 52年12月3日 創立40周年記念式典の挙行・詩集「みつめる子どもたち」第1集発行
- 56年10月1日 資料館・美術館の完成
- 60年9月1日 アーバンコートの完成(校庭)
- 61年2月6日 北区学校保健研究発表により保健優良校として表彰
- 62年11月7日 創立50周年記念式典挙行
- 63年2月18日 東京都よい子の歯の学校表彰
【平成期】
- 5年2月3日 国際理解教室の開催
- 6年11月25日 地域清掃、青空給食の実施
- 6年12月8日 ランチルームの完成
- 6年7月1日 阪神大震災にボランティア委員会の募金活動と送金(23万5417円)
- 8年4月1日 人権尊重教育(男女平等教育)の実践
- 9年10月24日 創立60周年記念式典の挙行・イメージキャラクター「スマイル二コピー」
- 13年3月5日 公共社会への貢献により善行表彰の受賞
- 13年9月13日 校庭改修工事の完成
- 14年2月14日 東京都学校歯科保健優良校の受賞
- 14年4月1日 学区域一部再編成による岩淵小・第二岩淵小・志茂小の3校を2校に統合
- 14年5月25日 環境美化による善行表彰の受賞
- 16年4月1日 給食業務の民間委託
- 18年4月1日 二学期制の実施
- 19年11月17日 創立70周年記念式典の実施
- 23年2月15日 体育館改修工事の完成
- 23年3月11日 東日本大震災での避難所開設(帰宅困難者100名宿泊)
- 23年3月15日 プール機械室改修工事の完了
- 24年2月5日 北区教育委員会研究協力校に指定(環境教育)
- 25年5月1日 放課後子ども総合プラン「わくわく岩淵ひろば」の開設実施
- 25年11月1日 北区教育委員会研究協力校の研究発表(荒川から始まる環境教育)
- 26年5月11日 野生生物保護功労団体として文部科学大臣奨励賞の受賞
- 27年4月1日 北区教育委員会研究協力校に指定(対話する学習環境デザイン)
- 28年11月 北区環境展奨励賞の受賞
- 28年12月2日 北区教育委員会研究協力校の研究発表(対話する学習環境デザイン)
- 29年10月21日 創立80周年記念式典の挙行・記念キャラクター「エイティーくん」
【令和期】
- 元年4月1日 壁面緑化事業(緑のカーテン等)
- 2年3月1日 コロナ禍による臨時休校(~5月31日まで)
- 3年4月24日 全児童に学習用タブレット型PC配布・運用開始
- 3年5月10日 ビオトープの完成
- 4年12月 日本語学級開設のための工事(~5年3月31日)
- 5年4月1日 日本語学級開設(西校舎2階)
学校要覧
学校の校歌
- 作詞 岩附 良雄(いわつき よしお)本校旧職員。昭和22年校歌の改定に際し、作詞に関かかわる。創立80周年記念誌「岩淵」に作詞の思い出を投稿されているので紹介します。「戦争が終わって、今までの校歌が古くなったので、私に作詞しろとの声がかかりました。余り自信がなかったのですが、富士と筑波と荒川とをあしらって、岩淵の子どもが、平和と文化の建設をめざして育っていくようにというつもりで作ったのです。」と述懐しています。
- 作曲 髙田 三郎(たかた さぶろう)1913年愛知県名古屋市で生まれました。武蔵野音楽学校師範科(現武蔵野音大)を経て、東京音楽学校(現東京藝術大学)本科作曲部を卒業しています。詩人高野喜久雄とともに多くの合唱曲を作曲しています。特に合唱組曲「水のいのち」(1964年)は有名で、混声版、女性版、男性版合わせて楽譜が200刷を超えるほど、今日まで長く歌い継がれています。
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校歌の音源と歌詞
周年記念誌表紙
学校の校章
- 校章(JPG:60KB)
- 梅の花に岩淵の「岩」の文字をデザインしたものです。昭和13年1月18日に制定されました。 当時は、東京市岩淵尋常小学校という校名でした。
校名の由来
- どうして「岩淵小」なのに、「第四岩淵小」より新しい?
- 昭和7年10月に東京市王子区に編入されるまでは、岩淵町(現在の赤羽地区)は独立町でした。それまでの岩淵町立小学校は、赤羽小(岩淵尋常高等小学校)、第二岩淵小、第三岩淵小、第四岩淵小の4校がありました。岩淵小は昭和13年創立で、王子区となってから四岩小に次いで「第五岩淵小」になるところでした。折柄、人口の増加が著しくなり、新しい学校の建設に追われる状況となっていました。そのため、今までの番号を付けた校名ではいずれ行き詰まる時が来ると考えられ、従来の方針を変えて「岩淵小」となったということです。
岩淵地区の地名変遷
- 明治維新後、岩淵地区は岩淵本宿町として大宮県(明治2年)→浦和県(明治3年)→東京府(明治3年)に編入されました。明治11年には、川口の飛地が編入され東京府北豊島郡岩淵本宿町となりました。
- 明治22年には、袋村・赤羽村・稲付村・下(志茂)村・神谷村と岩淵本宿町で岩淵町が形成されました。さらに、埼玉県北足立郡横曽根村に属していた浮間地区が岩淵町に編入されました。
- 昭和7年、東京市の市域拡張によって岩淵町と王子町で王子区が形成され、東京府東京市王子区岩淵町1丁目(現岩淵町)と2丁目(現赤羽2丁目)となりました。
- 昭和18年、東京都制が実施されて東京都王子区岩淵町1・2丁目となり、昭和22年には王子区と滝野川区が合併して北区が成立し、東京都北区岩淵町1・2丁目となりました。
- その後、昭和37年に「住居表示に関する法律」が公布されると、北区も住居表示の変更を進め、岩淵町1・2丁目、赤羽町1・2丁目、袋町を併せて赤羽東1~4丁目に分割するという原案を示しました。この案には、伝統ある「岩淵」の名が失われることに対する岩淵1丁目住民の強い反発を招き、町名存続運動が起こりました。その結果、岩淵1丁目は岩淵町の町名が残り、これを記念する石碑が八雲神社境内に建立されています。(岩淵2丁目の大部分は赤羽2丁目と、一部は赤羽南1丁目となりました)
(北区教育委員会「文化財研究紀要」第17集 岩淵地区の民俗・上から引用)
岩淵地区と鉄道
- 大正15年に王子ー神谷橋間を開通していた王子電車(王子電気軌道会社)が、昭和2年に赤羽まで延長されました。軌道敷設工事とともに旧道が直線化・拡幅化(現北本通り)され、赤羽岩淵病院近くに岩淵本宿停留所が設けられていました。
- 王電の終点は、赤羽の称があったものの、新道と岩槻街道のぶつかるあたりで、実際には岩淵地区内にありました。王子電車は、昭和17年に東京市電に統合され、その後都電となりました。自動車交通の増加のため、昭和47年に王子ー赤羽間は廃止されました。
- 平成3年、かつて王子電車が走った北本通り(国道122号線)の地下に地下鉄南北線が開通し、赤羽岩淵駅が開業しました。
(北区教育委員会「文化財研究紀要」第17集 岩淵地区の民俗・上から引用)
岩淵地区の地名について