ホーム > 文化・観光・スポーツ > 北区飛鳥山博物館 > 北区の歴史と文化財 > 歴史文化財リスト > 歴史文化財リスト赤羽・志茂地区 > 文化財説明板宝幢院前の道標
ここから本文です。
掲載開始日:
最終更新日:2015年4月23日
宝幢院(ほうどういん)前の道標(みちしるべ)
*印の語句をクリックするとキーワード解説がご覧になれます。
門に向かって右側の道標は、江戸時代の中期、元文5年(1740)12月に了運という僧侶によって造立されたものです。
宝幢院の前は、板橋道が日光・岩槻道と合流する位置でしたので、銘文には「東川口善光寺道日光岩付道」・「西西国冨士道板橋道」・「南江戸道」と刻まれています。日光・岩槻道は、岩淵宿から川ロへと船で渡り、鳩ケ谷・大門・岩槻の宿場をへて幸手宿で日光街道に合流する道筋です。江戸幕府の歴代将軍が徳川家康・家光の廟所のある日光に社参するための専用の街道としたので日光御成道(*1)とも呼ばれました。板橋道は、西国へと向かう中山道や八王子から冨士山北麓の登山口へと向かう冨士道へ通じていました。
道標は、各々の方向からきた人々が、まず、自分の歩いてきた道を確認し、つぎに、これから訪ねようとする土地への道が、どの道なのかということを確認できるように造られたものです。
赤羽3-4-2 宝幢院前