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最終更新日:2015年4月23日
船津翁は、近世三老農のうち最もすぐれた人である。翁は実験と学理をもととし農蚕(のうさん)業の改良を唱え、足跡全国に及び近世日本の農事を刷新した。翁は幼名を市蔵と云い、天保三年(1832)10月群馬県勢多郡富士見村に生まれた。翁は父の教訓を守り農事に励み、余暇に和漢の学問と和算を学び長じて名主となり赤城山麓の植林事業を指導し、又門松に用いる心松の伐採を禁止するなど多くの業績を残した。世は変わり、明治10年(1877)12月大久保内務卿の懇請により駒場農学校農場監督となり、後に農商務省に入り、かねて唱えていた農事試験場が西ヶ原に設けられたのでここに転じ、在職20年各地に播いた農道農魂農学そしてあくまで土に立つ崇高なものは農業であることを説いて廻った。年老いて郷里に戻った時はさすがに身体は衰弱していて幾許もなく病の為この世を去った。今の静岡県の石垣苺の栽培法は翁の研究が最も高く使われている。
篆額(てんがく)は、小松宮彰仁親王、文は品川弥二郎で、書は小野鷲堂(がどう)である。横井時敬(ときよし)等の提唱によって全国からよせられた寄付金で明治33年12月に建てられた。この碑は翁の郷里赤城山麓を向いて建っている。
王子1-1-3 飛鳥山公園