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掲載開始日:2017年10月13日
最終更新日:2022年4月19日
2024年のパリパラリンピックのトライアスロン出場を目指して日々練習に励んでいる、北区スポーツ大使の高橋勇市さん(三菱商事株式会社所属)に、学生チーム「#ときおぱ」がインタビューを実施しました!
※新型コロナウイルス感染症対策を実施したうえで、対面で行いました。
#ときおぱの活動についてはこちら
インタビュー第一弾はこちら(平成29年8月実施)
2004アテネパラリンピックのマラソンで金メダルを獲得した高橋さん。 高橋さんのご自宅で#ときおぱの質問に答えてくれました! |
Q アスリートとして、現在の目標や挑戦していることを教えてください。
A 現在は、2年後の2024年、パリパラリンピックに出られたらいいなと思って、それに向けて練習をしているところです。来年(2023年)の選考会に向けて、コロナが終息してくれると、練習にすごく専念できるのかなと思っています。今のところの目標は、2年後のパリパラリンピックに向けて頑張っています。
Q パリ大会出場に向けて、意気込みをお願いいたします。
A トライアスロンで代表になるには、世界ランキングを10位まで上げなければならないのですが、今回(自分は)13位ですかね。東京パラリンピックも、あともう一歩というところで代表になれませんでした。
東京と比べてパリパラリンピックの方がトライアスロンの選手枠が増えました。東京の時は、トライアスロン全体で70数名しか出場枠がなかったのですが、選手枠が大きく拡大しました。その分出られるチャンスが少しはあるかなと思うので、頑張ってみようというところでやっております。
Q コロナ禍で練習に変化はありましたか。
A とてもありますね。普段水泳の練習をスポーツクラブで行っていたんですけども、スポーツクラブ自体が休館になってしまいました。特に昨年の緊急事態宣言期間中はもう、全く使えない状態でしたね。なんとか泳げる場所を探していました。
Q トライアスロンを始めたきっかけや、理由を教えてください。
A トライアスロン競技は、2016年のリオデジャネイロパラリンピックから正式種目になりました。しかし、視覚障がい者男子のトライアスロン競技は、その種目には含まれませんでした。そして、リオパラが終わった翌年の2017年、東京パラリンピックでトライアスロンの視覚障がいの種目が開催されることが発表されました。それを聞いたときに「そこで出られたら、そこで優勝なんてしたら、初代のチャンピオンになれる。いいな」と思って、だったら挑戦してみようかなと思いました。泳いだり自転車をこぐことはあまりやったことはないけど、最後のランニングでごぼう抜きでもすれば、勝てるかなと思い、2017年の10月ぐらいから泳ぎ始めて、トライアスロンにはまっていくというような流れです。
Q トライアスロンを行う中で大切にしていることはありますか。
A トライアスロンは3種目+競技と競技の間のその繋ぎの部分である移動があります。それ以外に細かなルールがあります。例えば水泳が終わって、自転車に乗る時には用意された箱があり、そこに綺麗にウェットスーツをはみ出さないように入れなければなりません。
また、タンデムバイクを乗り終わった後はヘルメットを綺麗にかごの中に入れなければならないルールがあります。ヘルメットを顎から外しますよね。そのストラップが箱からちょっとでもはみ出していると、ペナルティで時間が加算されてしまうんですよ。そういうペナルティを受けないようにするために、焦らず、何事も丁寧に競技をしようというふうに心がけています。
2人乗り自転車では、前を走っている人の後ろについて走るとドラフティングという違反になります。ドラフティングをすると、その後のランニングに移った際、ペナルティボックスという電話ボックスのようなものの中で、走るのをやめて1分間待機しなければなりません。そういった細かいルールやペナルティが多くあります。
給水にもルールがあります。普通のマラソン大会では水を飲んだ後、その辺にポンと捨てるのを見たことがあると思いますが、用意されたごみ箱に綺麗に入れないとペナルティになるので本当に丁寧に競技をしています。
Q 伴走者の方とは、どのように信頼関係を築いていますか。
A しょっちゅう会えるわけではないので、メールでやりとりをして、いろんな雑談もしながらお話をしています。
レースの前々日くらいから会場入りするのですが、その時にもいろんなお話をします。やっぱり先ほどのルールの確認ですね。例えば、左に曲がらなければならないところを右に曲がってしまうことがあります。今間違えたので、やり直しの練習をしましょう。と言って、もう一度戻って左に曲がります。正しい方向に曲がってくれると、大丈夫です。安心できます。というやりとりを行います。間違ったところを復習して、直るまで一緒に練習していくというやりかたをしています。
ーコミュニケーションがとても重要なんですね。
そうですね。目の代わりですから。信じないと大変なことになってしまいます。
Q 挑戦し続ける原動力は何ですか。
A 原動力はねえ、何ですかね…。同じ障がい、視覚障がい者と同じ土俵で戦えるので、それだったら戦ってやろうという闘争心ですかね。普段だと健常者と戦うことが多くて、同じ障がいの人と戦う機会は多くありません。パラリンピックやワールドカップになると、そういった人と戦えるので闘争心がすごく湧いてきます。なので、原動力はそういった気持ちからきています。
Q 走っていて、辛い時にはどんなことを考えていますか。
A スタートした時からなんですよ。走る前もそうなのですが、嫌だなと思いながらいつも走っています。楽しいなと思って走ったことはほとんどありません。ゆっくりジョギングしてる時は楽しいのですが、レースの時はスタートして100メートルも行くと、苦しい嫌だなと。もう走りたくないやって、何でこんな走ってるんだろうと思いながら、嫌々走っています。
半分ぐらいすぎると、あと半分我慢すればいいやって思うんですよ。ゴールまであと1キロとかになると、よし頑張ろうとなって、パワーが出てきます。ゴールをすると、今日走ってよかったと思います。ゴールしたときは解放感や達成感を感じて一番嬉しいのですが、そこまではとにかく嫌だ嫌だと思いながら走っているというのが現状です。
Q 大会前に必ずやっているルーティンはありますか。
A 大会前は緊張するので必ずトイレに行ってます。トイレに行くと個室に入ります。そうすると1人になれて気持ちが集中できるんですよ。それで、今日このあとのレースはこんな感じで、こういうふうにレース進めてとか、自分なりのレース展開をイメージして集中してからトイレから出ます。
ガイドさんが外で待ってくれていて、トイレをしていると思っているのだろうけど自分としてはそうではありません。ただ個室が欲しいだけなんですよね。そこで集中して出てくるという感じです。何か周りにあると集中できないので。
ー大体何分ぐらい集中していますか。
3、4分は使ってますね。時にはもっとのこともあって、まだ?と言われるときもありますけど。そこで集中しています。
Q 日本や世界の大会において、好成績でレースを終えたときはどのような気持ちですか。
A 優勝して日の丸がセンターポールに揚がるのを考えると、日本代表になってよかった、日本人でよかったという思いがものすごく湧いてきます。好成績だったときには、いっぱいお酒が飲めるなとかそんなことも思います。
Q 今までで一番印象に残ってる大会やレースについて教えてください。
A たくさんあるのですが、今からちょうど20年前ですね。秋田県の角館(かくのだて)町から、髷わっぱで有名な大館(おおだて)町まで走る秋田100キロマラソンという大会があります。私は秋田出身で地元の大会なので、どうしてもチャレンジしたいと思い申し込みをしました。しかし、伴走つきで走る障がい者は危ないため出場することができないと断られたのです。困ってしまい全国から5000人の署名を集めて嘆願したところ、大会主催者側は、安全かどうか確認したいので実際のコースの100キロを試走してくださいと私に言ったのです。
試走当日、大会側が本番と全く同じ状態を準備してくれました。朝5時スタートなのですが、スタートラインをはじめ、5キロごとの給水ステーション、エイドステーション、タイム計測車などです。10時間かけてゴールした時には、胸にゴールテープが当たり、同時に花火が打ちあがりました。完走記録賞まで用意してくれました。
スタートもゴールも時間も大会本番と全く同じなんですよ。自分一人だけのためにそれを開催してくださいました。試走後、目が見えなくても伴走者がいれば安全に走れることを大会側で確認したので、来年度から出場しても構いませんと言ってくださいました。単なる試走なのにお金をかけて開催してくれたことに、地元秋田の人のよさというか温かさをものすごく感じ、いまだにずっと思い出に残っています。
Q トライアスロンやマラソン以外にやってみたい種目・競技はありますか。
A それはね、たくさんあります。目が見えなくてもできるような種目ってたくさんありまして、いろんな種目を体験しようかなと思って準備をしています。今のところ体験したものとして、ブラインドラグビーがあります。どんなものかなと思って体験をしてみました。あとブラインドボウリングがあります。それも目が見えなくてもボウリングができるのかなと思って体験をしてみました。ボウリング場のレーンのところに一本長い棒を用意してくれて、その棒に掴まりながら進んでいくと、その方向がわかるというもので、それも体験してみました。あとブラインドサーフィンというのもあるんですよ。これは去年新しく立ち上がった団体です。他にもサーフィンがあるんだったらスノボもあるかなと思うので、とにかく視覚障がいでもできる競技で、今現在無い新しい競技、ルールを作って参加してもいいのかなと思ってます。
北区にはキンボールという競技があるのをご存知ですか。キンっていうのはゴールドの金じゃないです。カナダで発明された新競技なのですが、そのキンボールは北区は強いですよね。北区民の方も、競技されてる方がたくさんいて、まだそんなにメジャーな競技ではないのですが、多分視覚障がいでもルールさえ決めればできるかなと思っているので、北区のスポーツ推進委員の皆さんと力を合わせて、参加させてもらって、キンボールの視覚障がいの部をつくれたらいいかなと思います。新競技に力を入れて、チャレンジしてみたいなと思ってます。
他にもブラインドテニスとかもありますし、動けるうちはいろんなものにチャレンジしてみたいなと思っています。
Q コロナ禍で自粛生活が続いたと思うんですけれども、そんな中で新しく始めたことはありますか。
A 新しく始めたというか、自粛生活で3食家食になってしまったんですよ。外食はあまりできなくなったので、3食料理をするようになりました。作っているうちに楽しくなってきて、だんだんエスカレートしてきて、いろんなものを作るようになりました。今までだったら、惣菜を買ってきて温めて食べていたのを自分で手づくりで作るようになりました。以前は火が怖くて、ガスコンロが怖かったのですが、最近はもう慣れて、上手に作れるようになりました。
ーちなみに、得意料理は。
うちの妻が一番喜んでくれるのは、アンチョビというイワシの缶詰があるのですが、あれとキャベツとニンニクを炒めたものです。材料的には単純でそれほど難しくはないんです。
あと手の凝っている料理は何ですかね...皮を買ってきて餃子を作ります。あとは豚肉とか、肩とか、モモとかいろんな肉を紐でグルグル巻きにして自分でチャーシューを作ったりします。チャーシューを煮た後の残り汁は、ラーメンのスープにします。あとは何ですかね、お好み焼きも作ったりします。お好み焼きはフライパンを2つ使っています。ひっくり返すのがうまくできないので、フライパンを上にポンと重ねて、パタッとこう。ひっくり返して、やるようにしています。
Q コロナ禍が続いていますが、もし新型コロナが終息したときに行きたいところはありますか。
A 行きたいところはホノルルで、ワイキキビーチで泳ぎたいなと思います。10年前、ホノルルマラソンは何度か行っているのですが、最後に行ったのが10年ぐらい前になります。その時は泳げなかったので、現地でじっとしていました。今だったら泳げるようになったので、ワイキキビーチの海を疲れるまで、1キロでも2キロでも、泳ぎ続けたいなと思っています。
Q ちなみに、先ほど秋田の話が出てたので、秋田のおすすめの場所はありますか。
A 私は秋田の横手(よこて)というところの出身です。横手というと横手焼きそばがあるのですが、その発祥の地で今も結構売れてますよね。あとは、稲庭うどんって聞いたことがありますか。それは横手です。
あと韓国ドラマで、冬のソナタというのがあったと思うのですが、それの日本の撮影現場が横手で、冬の雪が降っているシーンは横手で撮影したもので、韓国からわざわざその撮影現場を観に来られる観光客も結構いらっしゃいますね。あとは、男鹿半島のなまはげですね。
Q 東京オリンピック・パラリンピックなどで、特に印象に残っている競技、選手はいますか。
A やっぱり同じ視覚障害、陸上の和田伸也(わだしんや)選手ですね。彼も45、6歳ぐらいなってますけども、1500メートル、5000メートルでメダルを獲得しています。
女性だと道下美里(みちしたみさと)さん。マラソンで金を取りましたね。道下さんの金を取ったときの、マラソンの後半伴走、志田淳(しだじゅん)さんが伴走しているのですが、彼は2008年の北京パラリンピックで私の伴走をしていました。そこが彼の伴走デビューだったんですよ。
あとはオリンピックですと、平野歩(ひらのあゆむ)さんのスケボーですね。北京オリンピックもかっこよかったし、すごいなと思いました。あれはあれで一つのショーなのでほんとプロというか、すごいなと思いました。人間技じゃないなとすごく感じました。
Q 前回(平成29年)インタビューさせていただいたときに、勝負飯は白米とおっしゃっていましたが、何か変化はありますか。
A 変わりませんね。やっぱりご飯です。体を動かすために必要なのは炭水化物なので、ご飯だけ食べればいいのですが、ふりかけをかけて食べるなどしています。おにぎりだと海苔がついていることがありますが、消化に悪いということからご飯だけを食べるようにしています。生卵ご飯のほうが食べやすいのですが、食あたりになったら困るので、ふりかけをかけます。おにぎりの数でいうと5、6個は食べますね。大体3000キロカロリーを目安に摂るようにしています。その後、カステラを食べたりもします。糖質であり消化も良いので。なのでご飯+カステラとか、ようかんとかで食べたりします。
アテネパラリンピックのマラソンで獲得した金メダルを見せていただきました!
Q パラ陸上やトライアスロンという競技が今後どのように発展していって欲しいと思いますか。
A 陸上の方に関しては、世界中に選手がたくさんいるのですが、アジアは他の国々より少ない気がします。特に発展途上国は、選手が少ないのでそういった国の障がい者の方に競技に親しんでもらえるように、何か活動していかなければならないと思います。トライアスロンもどちらかというとヨーロッパ中心の競技で、アジアは本当に少ないです。なので両方ともアジア、東南アジアですね。選手層を広げる意味で、裾野を広げられる活動をしていきたいなと思ってはいるのですが、それには資金や協賛いただける企業さんも必要です。今後の課題ということで頑張りたいと思います。
Q 北区スポーツ大使として、今後どのような活動をしていきたいですか。
A 北区で行われるいろいろなスポーツ大会、北区主催のイベントがあると思います。そういったイベントに北区スポーツ大使としてできるだけ多く参加をして区民の方と触れ合い、目が見えなくてもこうやってスポーツができるんだよということを区民の皆さんに知ってもらいたいなあと思います。その姿を見た区民の方の中には、おうちに障がい者の方がいらっしゃるかもしれない。そういった方がおうちで話をすることで、じゃあ、あなたも一緒に行ってみようよとなって、障がい者の方をイベントに連れてきてくれるかもしれない。家に閉じこもってしまっている方が外に出て来られるように、障がい者でも動けるんだということをアピールしていきたいです。
Q 区民の皆さんへ一言メッセージをお願いできればと思います。
A 昨日もそうだったのですが、見知らぬ区民の皆さんに、「高橋さん。頑張ってくださいよ」と声をかけられることがたまにあるんです。声かけてもらえるとすごくうれしいのでね。もし見かけたら区民の皆さん、「頑張って」と、一声かけてくれると、とってもうれしいです。
区民の皆さんで、体を動かすの嫌だな、運動するの嫌だなという方もたくさんいらっしゃると思います。ウォーキングをして体を動かすことによって、免疫力が高まると思います。今回の記事を読んで目が見えなくても運動をしているのだから、私も普通の体だけどちょっと運動してみようかなって、体を動かしてくれると、とってもうれしいなと思います。1回動かすと、そのあとかいた汗がさっぱりして気持ちいいってなると思うのでそうなったらしめたもんですよね。もう、そこから続くようになるので、運動するの嫌だなと思わずに運動してくれたらなあと思います。もし、1人で運動するのが嫌だったら私のところに連絡をくれれば、ウォーキングだったら手をつないで1時間でも2時間でも歩いてあげますので。私も一緒に歩ければうれしいので、区民の皆さん、ぜひ体を動かしましょう。
北区スポーツ大使として、パラトライアスロン選手として、さらなる活躍を応援しています!
ご協力ありがとうございました!
インタビュアー:令和3年度#ときおぱメンバー 岡田真依、鈴木菖
北区では、東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて区内の大会開催気運を醸成しようと、北区と包括協定を結ぶ東京家政大学及び東洋大学の学生と平成29年度からオリンピック・パラリンピックに関する事業を一緒に企画・運営しています。(東京2020大会プロジェクトチーム「愛称:#ときおぱ」)
今回は、北区スポーツ大使の素顔を多くの区民の方に知ってもらおうと、学生のメンバーが高橋勇市選手に突撃インタビューしました!
2004年にアテネパラリンピックのマラソンに出場し、金メダルを獲得。
2008年北京パラリンピック、2012年ロンドンパラリンピックにも出場し、今なお活躍する高橋勇市選手の素顔に迫ります。
Q 好きな食べ物はなんですか?
A たくさんあるんですけど、お刺身が好きですね。これまではお寿司と言っていたんですけど、上に乗っている具が好きだということに気が付きました(笑)。あと、ウナギも好きですね。まるます家さんにもよく行きます。
Q 自分を動物に例えるとなんですか?
A 蛇がいいですね。蛇年ですし、よくしつこいと言われるので(笑)。何年か前の年賀状には、蛇の顔を自分の顔にしたこともありました。
Q 尊敬している人はだれですか?
A 山田敬蔵さんです。マラソンランナーで、もう2年くらい前に亡くなった方なんですけど、オリンピックにも出場しています。山田敬蔵さんは、自分と同じく秋田出身の方で尊敬しています。オリンピックでは、記録を残せなかったけれども、パラリンピックの伴走で42.195km走っています。日本人でオリンピックとパラリンピックに出場したのは、山田敬蔵さんだけなんです。
Q 座右の銘(好きなことば)はなんですか?
A 夢をあきらめない。
(高橋選手が書いた「夢をあきらめない」という本をプレゼントしてもらいました。)
Q 北区でよく行くスポットはどこですか?
A 岩淵水門ですね。ここには、週2,3回行っています。あとは、赤羽一番街(シルクロード)にもよく行きますね。
高橋選手が競技するマラソンについて、いろいろ伺いました。
Q マラソンを始めたきっかけはなんですか?
A きっかけを話すと長くなっちゃうんですよね。もともと走るのは、好きじゃなかったんですけど、小学校5年の時に百日咳にかかって、学校を3か月休んだ時期がありました。その病み上がりの時期にちょうど運動会があり、いやいや走ったんですけど、結果は100m走でビリでした。そのときに悔しくて、恥ずかしいという気持ちがこみ上げてきました。「これじゃだめだ、来年は1位になるぞ」と練習を始めて、小学校6年で1等賞になりました。生まれて初めて1等賞をとれて、嬉しくて、将来はオリンピックに出るぞと思い、中学校に進んだんですけど、よその中学校が強くて、大会に出場しても結果はビリでした。高校に入って、部活動に誘われたんですけど、結果が出ていなかったので断りました。
ある日の健康診断で目の病気が見つかり、将来、目が見えなくなると医者に言われて、30歳で見えなくなりました。そんな中、ラジオを聞いていたらアトランタパラリンピックのマラソンで日本人が金メダルをとった模様が流れたんですよ。そのとき「パラリンピックってなんだ?」と思い、友達に調べてもらいまして、パラリンピックが障害者のオリンピックだと知りました。
小学6年生の運動会の感動をもう一度味わってみたいな…、目の見えない人同士だったら勝てるのでは?と思い、そこから練習を始めて、2004年アテネパラリンピックでメダルがとれたんです。
Q マラソンの魅力と面白さはなんですか?
A マラソンは長い距離なので、スタート前は走りたくないと思っているんですけど、これは多くのマラソンランナーが共感しているみたいです。最初、調子が悪いと走るうちに調子が良くなることがあり、自己ベストが出るときもあります。反対に、最初、調子がいいと途中から悪くなることもあります。マラソンは貯金してはいけないと言われる競技です。例えば、10キロを1時間で走ろうとすると、1キロ6分の30分で5キロ走ればいいはずなんですが、「あとでペースが落ちるから、最初は5分ペースでいけばいいだろ」と最初からスピードを上げて走って、時間に余裕を持たせる貯金をすると後半に落ちてしまうんです。逆に最初ゆっくり走って、5キロを32分で走ると疲れていないから後半はペースを上げて走ることができます。このようなことは、経験を積まないとわからないんです。
現在の川内選手はたくさんの経験を経ているから、うまく走れているんです。マラソンは経験を積むからこそ速く走ることができます。そういうところが魅力ですね。
Q 試合前のゲン担ぎはありますか?
A 2004年アテネのころは金メダルをとりたくて、とにかく金を身に付けようと…。ピアス、回転寿司でも金の皿ばっかり食べていました。NHKさんのアナウンサーから「金のパンツは履かないんですか?」と質問されたことがあります(笑)。
Q 勝負メシはありますか?
A レースの直前はお米のみを食べています。走るために必要な糖質や炭水化物をたくさん摂ることを心がけています。
2004年アテネパラリンピックで獲得した金メダルにも触らせてもらいました!
金メダルの重みを感じました!
Q 陸上をやっていてよかったことはなんですか?
A 陸上のお友達がたくさんでき、同じ苦しみ、よろこびを共有できたことがすごくよかったなと思いました。職種とか年齢とか関係なく、いろんな人とお友達になれてよかったと思いますね。陸上を続けてきてよかったなと思います。
-仲のいいお友達はだれですか?
谷川真理さんやエリック・ワイナイナ、高橋尚子さんとも仲がいいです。あとは、東洋大学の酒井監督も仲がいいですね。
Q 東京でのオリンピック・パラリンピック開催が決まって何を感じましたか?
A 3年前はリオをめざして頑張っていたが、東京でも頑張らないといけないと思いました。東京は日本代表にならないといけないと思い、練習にも身が入りました。
-自転車競技にも取り組んでいるんですか?
東京都のアスリート発掘事業の選考会で走ったりしています。東京大会には何が何でも出たいので、タンデム自転車や水泳もやっています。
Q 東京2020大会に向けて一言お願いします。
A 北区民の方にぜひ応援してほしいです。また、ゆっくりでもいいので、伴走に協力してくれる人を探していますので、よろしくお願いします。
Q 北区の子どもたちにメッセージをお願いします。
A スポーツの種目に関係なく、自分の好きなスポーツに一生懸命取り組んでもらいたいです。スポーツができれば大学推薦や会社にも入れることもあります。いつどこで花開くかわからないので、あきらめずに続けてほしいです。
最後には、一緒に写真撮影をしてもらいました。
東京2020パラリンピックに向けて頑張る高橋選手を応援しています!!
インタビュアー:平成29年度”#ときおぱ” 齋藤希子・小野華世
※インタビュー内にありましたが、高橋選手は一緒に練習でゆっくりでもいいので、伴走をしてくれる方を探しています。年齢や性別等を問いませんので、ご協力いただける方は、東京オリンピック・パラリンピック担当課までご連絡ください。
※インタビューは、平成29年8月中旬に行いました。
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