ホーム > 文化・観光・スポーツ > 北区飛鳥山博物館 > 北区の歴史と文化財 > 歴史文化財リスト > 歴史文化財リスト田端地区 > 文化財説明板賊除地蔵尊の伝承地
ここから本文です。
掲載開始日:
最終更新日:2015年4月23日
与楽寺は、江戸時代には二十石の朱印高を拝領する寺院で、境内には、四面に仏を浮彫(うきぼり)にした南北朝時代の石の仏塔(ぶっとう)があります。また、阿弥陀如来(あみだにょらい)は女人成仏(にょにんじょうぶつ)の本尊として広く信仰を集め、六阿弥陀参詣(さんけい)の第四番札所(ふだしょ)ともなっています。本尊の地蔵菩薩は秘仏(ひぶつ)となっていますが、次のような伝承がありました。
「ある夜、盗賊が与楽寺に押し入ろうとしましたが、どこからともなく、多数の僧侶が出て来て盗賊の侵入を防ぎ、遂に、これを追い返してしまいました。翌朝、本尊の地蔵菩薩の足に、泥のついているのが発見され、地蔵菩薩が僧侶となって盗賊を追い出したのだと信じられるようになりました。これより本尊の地蔵菩薩は、賊除(ぞくよけ)地蔵と称されるようになりました。」
これが与楽寺の賊除地蔵伝説です。釈迦が入滅(にゅうめつ)してから56億7000万年後に弥勒(みろく)が現れるまでの間は、人々を救済する仏が存在しない時代とされますが、地蔵菩薩は、この時代に、みずからの悟りを求め、同時に地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・天(てん)という六道(ろくどう)の迷界に苦しむ人々を救うと信じられてきました。
江戸時代になると地蔵菩薩は、人々の全ての願望を叶える仏として信仰されるようになり、泥足(どろあし)地蔵・子育(こそだて)地蔵・田植(たうえ)地蔵・延命(えんめい)地蔵・刺抜(とげぬき)地蔵というように各種の地蔵伝説が生み出されました。与楽寺の賊除地蔵も、これらの地蔵伝説の一つとして人々の救済願望に支えられて生み出されたものといえます。
田端1-25-1 与楽寺境内