ホーム > 文化・観光・スポーツ > 北区飛鳥山博物館 > 北区の歴史と文化財 > 歴史文化財リスト > 歴史文化財リスト西が丘・赤羽西地区 > 文化財説明板稲付村の力石
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最終更新日:2015年4月23日
ここにある7つの石は、その1つに「さし石」と刻まれている力石です。江戸時代後期から明治時代にかけて、稲付村では、春の彼岸がすぎるころ、少しの間、農作業に暇ができましたので、村の鎮守である香取神社の境内に、村内の力自慢の若者たちが集まって、石の「サシアゲ」などして、力くらべをしたといいます。
7つある力石のうち、5つの石に重さが刻まれています。軽いものでも十九貫目(約71キログラム)、重いものでは五十五貫目(約206キログラム)もあります。また、6つの石には、「小川留五郎」と名前が刻まれています。留五郎さんは、稲付村一里塚跡付近にある根古屋(ねこや)の小川家の人で、力が強く、村相撲の大関を勤めたといいます。石鳥居の脇にある明治39年(1906)5月建立「日露戦役記念碑」の有志者連名中にもその名がみられます。明治40年(1907)6月13日に51歳で亡くなりました。力石は小川家に保管されていましたが、昭和40年(1965)頃に香取神社へ奉納され、現在に至っています。
力石は、鎮守の祭礼などで、これを持ち上げて、神意をはかるための石占(いしうら)に用いられ、後には、若者たちの力くらべをするための用具ともなっていきました。この力石は往時の稲付村の風俗・習慣を示す貴重な文化財です。
赤羽西2-22-7 香取神社境内
文化財説明板