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最終更新日:2015年4月23日
この堂内にある4基の石造物のうち、中央の地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)は、享保6年(1721)に造立されたもので、疣取(いぼとり)地蔵・身代(みがわり)地蔵とも呼ばれています。当初は現在地より100mほど北、現在の荒川の河川敷にありましたが、大正11年(1922)河川改修工事にともなって、現在地から40mほど南の場所に移転し、昭和30年(1955)2月、土地区画整理事業の際に現在地に移転しました。この像はかつて浮間村の北の入口に外へ向けて建てられていたので、北向(きたむき)地蔵と呼ばれました。六道輪廻(ろくどうりんね)に苦しむ衆生を救済する地蔵菩薩は、道祖神(どうそじん)と習合し、疫病(えきびょう)・悪霊(あくりょう)などが村内に入ってこないように村境に建てられました。
その向かって右の庚申待(こうしんまち)供養塔は宝永2年(1705)10月に結衆(けちしゅう)21人が、また、左の庚申待供養塔は安永6年(1777)2月に浮間村講中が、干支(えと)の庚申の日に徹夜して健康長寿を願う信仰にかかわって造立したもので、正面にはともに、庚申信仰を象徴する青面金剛立像が浮き彫りにされています。また、地蔵菩薩立像と左の庚申待供養塔の奥に阿弥陀三尊種子(あみださんぞんしゅじ)の月待(つきまち)供養板碑(いたび)があります。これは文明16年(1484)8月23日に、二十三夜講の結衆12人が、月の出をまってこれをまつる月待の行事を記念して造立しました。この板碑は、大正11年(1922)の河川改修工事の時に氷川神社付近で発見され、その後、ここに移されました。
浮間2-4地先
文化財説明板