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最終更新日:2015年4月23日
ここにはかつて荒川の渡船場(とせんば)がありました。渡船場はこの説明板を川に向かってやや左手から対岸の板橋区小豆沢(あずさわ)4丁目26番と27番の間を南北に通る道路へと結んでいました。明治44年(1911)から昭和5年(1930)にかけて行われた河川改修工事で荒川の流路が変更されたため、現在では渡船場のあった場所は新河岸川(しんがしがわ)の流路となっています。
江戸時代後期の状況を示す「新編武蔵風土記」には、浮間村の農民が、対岸にあった耕地との往来のために設けられたものでしたが、渡船場を維持するかわりに助郷(すけごう)を免除されていたと記されています。明治初年の状況を示す「武蔵国郡村誌」には、村道に属していて、村の南方、荒川の中程にあって、人専用一艘、馬専用一艘の計二艘が運航する民営の渡船であると記されています。渡船場は浮間村が運営しており、小豆沢側の船着場も浮間村で借りていました。
渡船賃は、村社の修復・道の修繕・分教場の費用にあてられたといいます。村民は東京に行く時に利用しました。また、浮間は桜草(さくらそう)の名所として知られていましたが、桜草の咲く頃には多くの人出がありましたので、現在の浮間橋寄りに臨時の渡船場ができました。昭和3年(1928)5月、下流に浮間橋が架設されると、渡船場は姿を消していきました。
浮間3-6地先