ホーム > 文化・観光・スポーツ > 北区飛鳥山博物館 > 北区の歴史と文化財 > 歴史文化財リスト > 歴史文化財リスト浮間地区 > 文化財説明板浮間渡船場跡の供養塔群
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最終更新日:2015年4月23日
4基の石造物は、向かって右から西国(さいごく)・秩父(ちちぶ)・坂東(ばんどう)・四国(しこく)八十八箇所供養塔、馬頭観音坐像(ばとうかんのんざぞう)供養塔、庚申待(こうしんまち)供養塔、水神宮(すいじんぐう)の石祠です。このうち水神宮の石祠を除く3基は、かつては現在地より100mほど北、浮間3-7と浮間5-3の境にあったといいます。
札所についての供養塔は、文政元年(1818)7月に浮間村の松澤伴右衛門という人物が、西国・秩父・坂東百ヶ所の観音霊場、四国八十八ヶ所の弘法大師霊場を巡拝した記念に造立したものです。道行く人の助けとなるよう「右いゝつか(飯塚)・川口道」「左浮間村」という道標銘も刻まれています。馬頭観音坐像供養塔は、文化10年(1813)11月に浮間村講中の35人が、往来する馬の安全を祈って造立したものです。庚申待供養塔は、干支(えと)の庚申の日に徹夜して健康長寿を願う信仰にかかわって、天保9年(1838)6月に浮間村講中18人が造立したものです。正面には、庚申信仰を象徴する青面金剛立像(しょうめんこんごうりゅうぞう)が浮き彫りされています。
水神宮の石祠は、いつ造立されたかは不詳ですが、正面に「水神宮」と刻まれています。この付近にかつては渡船場(とせんば)があり、往来の人々で賑わったことがしのばれます。
浮間3-6地先