ホーム > 文化・観光・スポーツ > 北区飛鳥山博物館 > 北区の歴史と文化財 > 歴史文化財リスト > 歴史文化財リスト赤羽北・桐ケ丘地区 > 文化財説明板小袋庚申堂の石造物群
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最終更新日:2015年4月23日
この地域は、袋村と称され、村内は大袋・小袋の辻子(づし)と呼ばれる二つの地域からなっていました。ここは小袋という辻子だったので、庚申堂も小袋庚申堂とよばれるようになりました。庚申堂には稲荷社の社殿のほうから次のような石造物が安置されています。
弘法大師供養塔(こうぼうだいしくようとう)
阿弥陀三尊種子庚申待供養塔(あみださんぞんしゅじこうしんまちくようとう)
元禄15年(1702)11月
阿弥陀三尊種子千日念仏供養塔(あみださんぞんしゅじせんにちねんぶつくようとう)
寛文8年(1668)2月
庚申待供養青面金剛立像(こうしんまちくようしょうめんこんごうりゅうぞう)
宝永元年(1704)9月
庚申信仰についての石造物が2基あります。これは人の体のなかに住む三尸(さんし)という虫が干支でいう庚申の日の夜、体内から抜け出して天帝に悪事を告げ、人の命を縮めてしまうというので、虫が体内から出ないようにと一か所に集まって夜を徹して供養をおこなった記念に、袋村講中の人々によって建てられたものです。
弘法大師の供養塔は、真言宗を開いた空海の遠忌(おんき)を記念して建てられましたが、一部が破損していて造立年代や造立者は詳らかではありません。
千日念仏の供養塔は、時間や回数をきめて千日間、南無阿弥陀仏という名号(みょうごう)をとなえれば浄土に往生できるという信仰儀礼の記念に建立された塔です。袋村を中心とする16か村の名主や結衆(けっしゅう)によって建立されていますが、このような複数の村の人々によって建てられた供養塔はあまり例がなく、貴重な文化財といえます。
これらは昔、現在の赤羽北児童遊園入口付近の路傍にありましたが、昭和30年代の前半、現在地に移されました。
赤羽北1-6 稲荷社地内