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最終更新日:2015年4月23日
この水神宮はもとは現在地より更に東北の新河岸川(旧荒川)沿岸にあったといわれます。昭和初期には、川の南岸に小さな入江があり、その北側の築山の上に石造りの祠が祀られていたそうです。現在の場所に移されたのは、旧所在地を含む場所が日本製紙会社の工場の敷地となったためでした。現在、そこは住宅団地となっています。
祠は、江戸時代から人々の生活に欠かせない交通路としての隅田川の岸辺の水神として、船を使って生活を営んだ船持(ふなもち)と呼ばれた人たちから厚い信仰が寄せられていました。それと同時に、袋村は川の上流となる秩父地方に大雨が降ると天候にかかわらず洪水が起きる土地柄だったため、水神を祀ることによって水害を防いでもらおうという人々の願いも寄せられていました。
明治中期に起こった大洪水をきっかけとして、水神宮は舶持が寄せていた水難除け・水運の安全といった祈願よりも、水害防止祈願が中心となって、盛大に祀られるようになりました。こうした信仰の変化に伴って、信仰を寄せる人々の主体も、船持の人々から30軒ほどの水神講へと変化しました。
今ではその講も講としての活動は見られなくなりましたが、諏訪神社の氏子総代が中心となって祭祀が行われており、毎年6月15日に水神祭りが行われています。
赤羽北2-21-19
文化財説明板