ホーム > 文化・観光・スポーツ > 北区飛鳥山博物館 > 北区の歴史と文化財 > 歴史文化財リスト > 歴史文化財リスト滝野川・王子本町地区 > 文化財説明板石造近藤守重坐像
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最終更新日:2015年4月23日
坐像は、現在の千島列島から北海道までの蝦夷地(えぞち)を探検し、エトロフ島に「大日本恵土呂府(だいにっぽんえとろふ)」という標柱を建てた近藤守重(こんどうもりしげ)の肖像です。
守重は、明和8(1771)年、江戸町奉行所与力の次男として生れ、家督を継いで、通称を重蔵(じゅうぞう)、号を正斎(せいさい)と称しました。
寛政10(1798)年3月、幕府から蝦夷地の調査を命じられ、北方交易の海商高田屋嘉兵衛の協力で、石像のように、甲冑(かっちゅう)に身を固めてエトロフ島に渉り、現地の開発に尽力しました。また、利尻島の探検にも参加し、蝦夷地についての著書も著しましたが、文政5(1822)年から9年までの4年間を、正受院の東隣に、滝野川文庫という書斎を設けて住みました。
石造近藤守重坐像は、この記念に、江戸派の画家として著名だった谷文晁(たにぶんちょう)に下絵を依頼して製作したと伝えられます。
正受院は赤ん坊の納骨や供養をしていることから「赤ちゃん寺」と呼ばれています。
滝野川2-49-5 正受院境内
正受院拝観時間 9時00分~17時00分