ホーム > 文化・観光・スポーツ > 北区飛鳥山博物館 > 北区の歴史と文化財 > 歴史文化財リスト > 歴史文化財リスト滝野川・王子本町地区 > 文化財説明板千川上水分配堰碑
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最終更新日:2015年4月23日
正面に「千川上水分配堰」(せんかわじょうすいぶんぱいぜき)とあるこの碑は明治15年(1882)7月に設置されました。右側面には上水の水源地、樋口(ひぐち)の大きさと利用者、左側面には設置年月日が刻まれ、裏面には明治42年3月として、樋口の大きさと利用者、堰幅の長さ、千川上水公園内にあった溜池の水面の高さが刻まれています。これにより取水量が定められていたことがわかります。
千川上水は、元禄9年(1696)に玉川上水から分水された上水で、左(南)側の道路が今は暗渠(あんきょ)となってしまった水路です。堰はこの付近にあり、そこから西巣鴨交差点の方向に分水路が通されていました。この分水路は、慶応元年(1865)11月、飛鳥山の西側(滝野川2-6付近)にあった江戸幕府の大砲製造所の建設に伴い、開鑿(かいさく)されたものです。
明治時代になると分水路は、石神井川とともに現在の北区・荒川区・台東区内の二十三ケ村の灌漑用水、王子近辺の紡績工場・抄紙(しょうし)会社・大蔵省紙幣寮抄紙局(おおくらしょうしへいりょうしょうしきょく)の工業用水として利用されました。また、千川上水本流も東京市内への給水が再開され、多方面に利用されることになりました。そのため千川上水の利用者は水利権を明確化し、互いに取水量を遵守(じゅんしゅ)するために、碑をここに設置しました。
滝野川6-9-1