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最終更新日:2015年4月23日
東京都指定文化財(旧跡)
昭和11年3月4日指定
多紀藍渓は桂山の父で、名医丹波康頼の子孫である。安永年間(1772~81)侍医となり、法眼に叙し、やがて法印に進んだ。彼は製薬所を設置し、医官の子弟をことごとく就学せしめて教育に尽した。享和元年(1801)5月14日歿。年七十。
桂山は父藍渓のあとを襲い、幕府の医官となった。寛政2年(1790)侍医となり、法眼に叙し、医学教諭を兼ねたが、享和年間侍医を罷免された。
その後著作に専心し、多くの医学書を残し、文化7年(1810)12月2日、年五十六で歿した。
元安は桂山の子で文政10年(1827)6月2日40才で歿したが桂山の二男元堅は別家を本石町に立て、幕府の奥医となり、法院に進み、医学館の教授となった。安政4年(1857)9月14日に歿した。
上中里1-42-8城官寺墓地内