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最終更新日:2015年4月23日
江戸時代の金輪寺は、本堂が北区役所第二庁舎付近にあり、禅夷山東光院金輪寺といい、王子権現社・王子稲荷社を管理する別当寺でした。万延元年(1860)12月の火災により焼失し、そのまま明治初年の神仏分離をむかえ、廃寺になったといいます。その後、明治36年(1903)2月真言宗霊雲寺第十五世正行が地元檀徒とはかり、残っていた藤本(ふじもと)坊・弥陀(みだ)坊のうち、藤本坊が金輪寺の名跡(みょうせき)を継ぎ、王子山金輪寺としました。これが現在の金輪寺で、真言宗霊雲寺派に属します。弥陀坊は、北区役所第四庁舎西隣りの金輪寺境外仏堂阿弥陀堂になります。
現在の金輪寺境内には、阿弥陀堂境内の歴代住職の墓所から、5基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が本堂前に移設されています。これは中興開山の宥養、元禄5年(1692)正月に高野山高室院(たかむろいん)の「小田原衆所領役帳」を筆写した宥相、飛鳥山・王子の由来などを記した飛鳥山碑を元文2年(1737)11月に建立した宥衛、宥存・宥雄の墓石です。また、本堂前に阿弥陀仏の種子(しゅじ)を刻み弘安7年(1284)6月に造立された板碑や、門を入った左側に正徳2年(1712)11月に王子村の庚申講中が造立した庚申塔である「石造青面金剛立像」なども移設されています。墓地には、王子村の名主で、現在の区立名主の滝公園の基礎を築いた畑野孫八家の墓所もあります。